痛みの治療に欠かせないこと
目次
痛みが治るということ
私たちは日々活動する中で、体を動かし、栄養を摂取し、様々なことに思考や想像を巡らせて生きています。
その中で、体内の調和を保ち、外界への適応のために刺激を感じ、変化させています。
身体の痛みもそのうちのひとつです。
損傷があった場合は、修復に痛みは必要です。
身体を休息させ、損傷部位に血液を送り届けて免疫を働かせます。
そうした中で回復していくのです。
なので、治癒(回復)というのは症状の改善、適応、損傷の修復がそろって本来の「治った」という現象になります。
痛みには損傷を伴わないものもある
しかし、困ったことに損傷を伴わない痛みというものがあります。
慢性痛の多くは組織の損傷が必ずしもあるわけではありません。
痛みは情動を伴った経験であるため、痛みは繰り返しの経験で感じやすくなります。
よって、同じ場所を何度も繰り返し痛めたり、その痛みに強烈な情動を伴ったりすると痛みの記憶が脳に定着しやすくなります。
屈強なプロレスラーが殴られるのには痛みに耐えられるのに、小さな注射針に恐怖を感じたことで強い痛みを感じたり、嫌いな人に叩かれたら物凄く強い暴力だと感じるけれど、大好きなアイドルにビンタをされても痛みよりも幸福感が強かったりします。
痛みは主観的なもの
痛みというのは客観的に測れる尺度がありません。その人の感じた痛みが10であれば、どんな小さな刺激でも10なのです。
悲しいことに施術者は患者の痛みを理解することはできません。
また、理解をしたとしても何かが出来るわけではないのです。
しかし、痛みには条件付けや時間帯、行動などで管理はできます。
痛みは取り去ることでは解決しない
痛みには管理が必要です。
特に慢性痛の方は痛みばかりに気を取られています。
一日の活動の多くを痛みと共にします。
そのような痛みを一時的に強い刺激で取り払おうとすればするほど、強く、速い痛みが繰り返すことになるのです。
強刺激のマッサージや痛みを伴う刺激の治療はそのような恐れがあります。
私たちはこう考えます。
痛みを抱えた人には、寄り添いと勇気づけが大事です。
痛みは理解できませんが、痛い人を受け止め、思いやりで接する事は安心につながります。
安心は痛みのある人にとって、重要なファクターです。
また、勇気づけが大切です。
人は困難に対して、逃げることも、立ち向かうこともできます。
しかし、ひとりで考えている時は、恐れや不安が付いて回ります。
そこで、痛みを抱えながらでも前に進むことや、手放すことで、その人の力が満たされていくように支えていきます。
人は満たされた時に、行動しやすくなります。
また、それをする意味を見つけた時に行動しやすくなります。
これも、その人自身ですが対話が欲しいです。
セラピストは対話力が必要です。
こう考えると痛みというのは治すことではなく、管理と行動で感じ方に変化を与えていくようなものです。